小禄地区

1.「らくだ山」の海軍陣地壕
字鏡水
全長約200m。通称「らくだ山」に自然洞窟を利用して構築壕。入り口4ヶ所。英語の落書きが至る所にある。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

2.海軍陣地壕
字鏡水(陸上自衛隊基地内)
全長約200m。入り口3ヶ所。2ヶ所は鉄格子されて入れない。銃眼2ヶ所。石の階段を上ると中はコンクリートで補強され、天井には空気穴が2ヶ所造られている部屋がある。大きい壕だが、部屋は1ヶ所。3ヶ所に二重扉があったと思われるところにコンクリートで補強した跡。火炎放射の跡。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

3.海軍陣地壕
住吉町三丁目(陸上自衛隊基地内)
全長約300m。幅1.8m、高さ1.9mの壕が正確に掘られている。入り口1ヶ所。全体に坑木の跡がないが、地面の弱いところにはある。コンクリート造りの井戸があり、湧水があふれている。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

4.戦闘指揮所壕(海軍)
字鏡水(陸上自衛隊基地内)
全長約70m。入り口2ヶ所。コンクリート造り。2ヶ所部屋があり天井、壁は漆喰が塗られている。水はけの溝。喚起装置置場。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

5.ペリーの丘
山下町
垂直に約4m下り、奥行き約5mの自然洞窟。一部構築壕されている。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

6.山下町大通りの壕
山下町
奥行約12mの自然洞窟。湧水。拝所。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

7.田原給油所の隣り
字小禄
全長約80m。入り口は大木の根で覆われ、拝所になっている。 (1フィート運動の会92年〜93年調査)

8.ことぶき山壕
田原3丁目
沖縄戦において、日本海軍が小禄飛行場防衛のために構築壕。敗戦時には、日本兵と行動を共にしていた民間人も犠牲となった。(那覇市教育委員会97年調査)全長約300メートル。入口が8ヵ所あったが現在4ヵ所落 盤。コンクリートや漆喰を塗られた所もあり頑丈に造られ ている。那覇市公園緑地課が管理。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

9.森口原
小禄小学校の裏

10.真玉御嶽の壕
小禄
全長約300メートル。入口3カ所の内1カ所はトーチカ。 壕内は火炎放射で焼かれレンガ色になっている。1フイー ト運動の会で92年11月より10数回遺骨収集作業を行なう。 遺骨、遺品は黒炭状になって発見、まだ残っている可能性 がある。「具志頭村平仲正吉」と彫られた万年筆とそばに 遺骨があった。新聞報道により妹さんが名乗り出られた。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

11.宇栄原2丁目の壕?
宇栄原2丁目
全長約80メートル。入口1ヵ所。石灰水がにじみ出て壕全 体がコンクリート状になっている。入口から約12メートル は深さ50センチの水がある。奥の方は最近のものと思われる生コンが流しこまれている。遺骨や遺品が石灰水とコン クリートで地面にくっつき、足の骨がそのまま残っている 軍靴があった。遺骨はまだ残っている可能性がある。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

12.字宇栄原の壕
宇栄原
全長約150メートル。入口1カ所。壕内3ヵ所落盤。入口 から約30メートルは天井、壁、床がコンクリート造り。セ メントの固まりが20袋ぐらいある。火炎放射の跡。奥には 水がたまっている。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

13.宇栄原2丁目の壕?
宇栄原2-24-1,2,5
民間壕であったらしい(地域住民より)かなり奥行きがあり、現小禄中学校グラウンド地下を通り抜けた所に出られたとのこと。小禄中学校グラウンドと個人宅との境になっており、10数年前の学校側の整備により、ブロック壁となり、痕跡は残っていない。(那覇市教育委員会97年調査)奥行約5メートルの構築壕壕が2メートルおきに4ヵ所。現在はコンクリートで閉じられている。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

14.宇栄原2丁目の壕?
宇栄原2-22
軍(護部隊六分隊整備科)の壕(安次嶺御嶽地下)道から丘の中腹にある入り口がすぐ確認できる。入り口は直径約70cmだが、周りはだいぶ崩れている。網がかけられていたらしいが、はずされているので容易に入ることが出来る。そばの墓とも通じており、中は2階建てになっているとのこと。(那覇市教育委員会97年調査)<安次嶺金満御嶽地下(護部隊六分隊(整備課))>全長約450メートル。井戸、トイレ、発電室らしきところがある。火炎放射の跡。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

15.字宇栄原の壕
宇栄原
民間壕だったが後に軍に接収された。戦時中、現高良小学校からこの辺一帯は掩体壕だった。(高良小学校入り口付近にはサーチライトの様なものがあったとのこと)地域の方のお話では約10年前までは子ども達が中に入って遊んでいたらしい。現在は入口付近が完全にくずれ、確認不可能。幼稚園の庭から見える大きな松の木の下が入り口だった。又、丘の上の墓地にも出口があるらしいとのことだったが確認出来なかった。(那覇市教育委員会97年調査)高良小学校の横にあった物見台まで続いていた(地域住民 の証言)が、現在落盤がひどく約10メートル入れるだけ。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

16.宇栄原3丁目の壕
宇栄原3-19-
ここは民間壕である。現在大小2ヶ所の入り口が残っているが、小さい方(丘の下方)は、ゴミが捨てられており、また、土砂等に埋もれていて入れない。大きい方(上部)は入り口が直径約70cmで約4mくらいは中を見ることが出来るが入り口の上に大きな木があり、根の部分からだいぶ崩れている。(那覇市教育委員会97年調査)自然洞窟に約15メートル構築壕。火炎放射の跡。現在ゴミが 捨ててある。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

17.具志1丁目の壕
具志1-16-1
民間壕だったらしい(地域住民より)

18.具志3丁目の壕?
具志3-19-11
地域住民によると民間壕であるらしい。旧番地で2つにまたがっていたため住所が違う。両番地ともに壕の確認不能(那覇市教育委員会97年調査)全長約200メートル。入口2ヵ所。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

具志3丁目の壕?
具志3-27-4
民間壕だったらしい(地域住民より)宅地用としてつぶされているため、痕跡なし。確認不能(那覇市教育委員会97年調査)全長約100メートル。入口2ヵ所。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

具志3丁目の壕?
具志3-27-2
民間壕だったらしい(地域住民より)道路と畑になっているため痕跡なし、確認不能(那覇市教育委員会97年調査)全長約60メートル。(那覇市教育委員会97年調査)

具志3丁目の壕?
具志3-21-12
民間壕だったらしい(地域住民より)(旧住所:具志691番地)道路と少しの空きスペースとなっているが、雑草が生い茂り確認不可能。隣と裏の墓の整備でおそらくくずされていると思われる。(那覇市教育委員会97年調査)全長約60メートル。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

具志3丁目の壕?
具志3-28-4
民間壕だったらしい(地域住民より)(旧住所:具志742番地)畑になっており、痕跡なしのため確認不能(那覇市教育委員会97年調査)全長約60メートル。(1フィート運動の会92年〜93年調査)

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