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米軍上陸
墓と戦争
1945(昭和20)年3月26日、アメリカ軍は、アイスバーグ(氷山)作戦のもと、548,000人の兵隊と1,500隻の艦船で沖縄島をとりまき、那覇の西にある慶良間列島に上陸しました。そのとき逃げ場をなくした人々が、かねてさしずされていたとおり命を絶ってしまうという悲劇が起こりました。その数は553人といわれています。
 4月1日、アメリカ軍は、沖縄島中部の読谷から北谷にかけての海岸に上陸しました。それから3ヶ月間、住民を戦場に巻き込んで,日米両軍の激しい戦闘がくりひろげられました。壕の中で泣きさけぶ子どもが、アメリカ軍に発見されるとのことで日本兵に殺されたり、避難している防空壕から追い出され砲弾にあって死んだ住民や、スパイだとうたがわれ殺された住民、また、軍の命令で集団死した住民など、多くの犠牲者がでました。そして、6月23日、沖縄守備軍の最高責任者である牛島満司令官などの自決により、沖縄戦の組織的な戦闘はおわりました。しかし、各地ではまだ戦闘が続いていました。
 沖縄戦での日本軍の戦死者はおよそ9万4千人、アメリカ軍の戦死者がおよそ1万2千人ですが、一般の住民の犠牲者は9万4千人あまりといわれています。結局、沖縄出身兵戦死者もくめて、沖縄県民の犠牲者は、およそ12万2千人になります。

証言:1234






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