わたしたちの那覇市

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 十・十空襲と那覇市の戦争  写真をクリックしてみよう


十・十空襲で焼けた市域
焼け野が原になったまち
那覇市の戦没者
那覇市の戦没者
県内で処理された不発弾の数
県内で処理された不発弾の数
 太平洋戦争における那覇市の被害は,1944年(昭和19年)10月10日のアメリカ軍による空襲(十・十空襲)に始まります。早朝からの五波におよぶ空襲で,300年あまりにわたって築かれた商業都市・那覇の街の90%は焼失しました。焼け出された人々は,本島北部や県外に疎開を余儀なくされました。

 翌年の1945年3月下旬から始まった沖縄戦は,街をがれきの山に変えました。特に首里城の地下に日本軍の司令部が置かれたため,首里は日米両軍の激しい戦場になり,首里城をはじめとする貴重な文化財の多くが失われました。また,海軍の飛行場があった小禄は,鏡水海岸(現在の那覇空港)から上陸してきた米軍の攻撃を受け,丘陵地帯を中心に戦闘がおこなわれました。

 空襲・艦砲射撃・地上戦・市街戦と破壊の限りをつくした沖縄戦で,20万人以上の尊い生命が奪われ,沖縄は焦土化しました。戦後,奇跡の一マイルと言われた国際通りを中心に那覇市は発展をとげ,戦前の約7万の人口から約32万人に増えてきました。

 このことによって,戦争を伝える多くの戦争遺跡が那覇市から消えていきました。しかしながら,現在でも毎年のように那覇市内では不発弾が見つかっています。また,建物と接するところに,戦争の爪痕が残っています。


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