わたしたちの那覇市

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ラムサーム条約ってなに?


1. 「ラムサール条約」の由来
 湿地は何世紀もの昔から不毛の地とみなされていたため、干拓などの土地改良工事が実施され破壊されていきました。そして、湿地がどんどん無くなるにつれ洪水の発生、海岸の浸食や湿地に生息している動植物がいなくなっていきました。
 1960年代初めに、湿地の重要性に気づき始めた少数の人々は湿地を守るための活動を始め、湿地保全のための国際条約の必要性を訴えていきました。なぜなら、湿地やその水源は国境をまたがることが多く、渡りをする鳥たちは国境を越えて多くの湿地を必要とするからでした。
 その後、ヨーロッパを中心に湿地に関する会議が何回も行われましたが、なかなか国際的な取り決めには至りませんでした。
そして、1971年2月3日、イランの首都テヘランから150kmほど北、カスピ海の湖畔にある「ラムサール」という小さな町で、水鳥と湿地に関する国際会議が開かれ、「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」が採択されました。
 この条約は会議の開催地の名前にちなんで「ラムサール条約」という名前で一般に呼ばれるようになりました。


2. 条約の内容
 ラムサール条約は、国際的に重要な湿地を世界の人々の協力で保全することを目的とした条約です。正式名称の「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」からわかるように、水鳥の生息地としての関わりが強かったのですが、湿地そのものの役割とともに湿地に頼っている特殊な動植物の保護も対象になっています。
 また、湿地は人間にとっていろいろな役割(科学、経済、文化やレクリエーションなど)を持っている資源であることから、この資源を将来にわったって持続させることの必要性と努力を求めています。


3. 加盟国数及び日本国の取り組み
 2001年1月末の時点で、ラムサール条約に加盟している国(締約国)などの数は123カ国で、登録湿地は1,045カ所になっています。
 日本は1980年にラムサール条約に加入して、その年、釧路湿原が日本で最初の登録地となりました。その後、1985年に伊豆沼・内沼、1989年にクッチャロ湖、1991年にウトナイ湖、1993年に霧多布湿原、厚岸湖・辺寒辺牛湿原、谷津干潟、片野鴨池、琵琶湖、1996年に佐潟、そして1999年に漫湖が登録され、現在11湿地が登録されています。その登録湿地面積の合計は83,725ヘクタールになりました。




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