わたしたちの那覇市

地域の発展につくした先人にはどんな人がいたのかな


先人のはたらき

さとうづくりのはじまり
本で調べたよ:儀間真常
儀間真常の黒ざとうづくり
しぼり機の移り変わり
さとうきびの品種改良

黒糖づくりに挑戦


 さとうづくりのはじまり 


 さとうきびは、インドから中国をへて沖縄につたわりました。「荻(おぎ)」とよばれ、あまいしるのでる植物として、野や山にきいばいきれていました。
 今から400年ほど前の沖縄は、首里王府が沖縄をおさめていました。そのころの人々は、米や麦、粟などの農作物をつくって、首里王府に税としてさしだした残りで生活をしていました。また、1607年、琉球(沖縄)が、薩摩(今の鹿児島県)の支配下におかれるようになると、おきめる税はさらに多くなっていきました。そのため、大きな台風や日でりがつづくと、人々のくらしは苦しくなりました。
 そのころ、薩摩へ税をおさめる王府の役人をしていた儀間真常は、1605年に野国総管が中国からもちかえったイモを広めました。
 イモは1年中いつでも植えられ、育ちも早く、日照りや台風にも強く、農家の人たちの主食となり、また、家ちくのえさとしてもなくてはならない大切な作物になりました。
 イモづくりの広まりによって、人々のくらしもわずかながらゆとりが出てくるようになりました。
 その後、儀間真常は、さとうきびに目をつけ、I623年、しぼり機を使ってしるをしぼり、につめて黒砂糖をつくりました。そして、村々をまわって、黒砂糖づくりを広めました。
儀間真常のさとうの作り方
儀間真常のさとうの作り方

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