鋼鐘(旧首里城正殿鐘) |
どうしょう(きゅうしゅりじょうせいでんしょう) |
 |
県立博物館 |
 |
昭和53年6月15日 |
鐘は所在地から「中山国王殿[ちゅうざんこくおうでん]の鐘」、「首里城正殿[しゅりじょうせいでん]の鐘」とも、また鐘に刻まれている銘文[めいぶん]の一部から「万国津梁[ばんこくしんりょう]の鐘」とも呼ばれています。青銅製で、高さ154.5cm,口径94cm、重量約600kgです。天順[てんじゅん]2(1458)年4月13日の年号があり、尚泰久[しょうたいきゅう]王代の鋳造[ちゅうぞう]で、鋳造の大工は藤原[ふじわら]国善、鐘の銅に4区に分けて刻まれた銘文は、相国寺住持[そうこくじじゅうじ]の安潜[あんせん](渓隠[けいいん])の撰文[せんぶん]です。鐘は、廃藩置県後に那覇の本願寺[ほんがんじ](のちの真教寺[しんきょうじ])に移され、首里城内の博物館を経[へ]て、現在は沖縄県立博物館に展示されています。
この鐘は、仏教の加護[かご]によって国内を安定させる目的で鋳造されたものですが、15世紀中頃の、尚泰久[しょうたいきゅう]王代の琉球の海外進出の気概[きがい]を的確に表現するものにもなっています。銘文の大意は、次のとおりです。
琉球国は、南海の勝地[しょうち]にして、三韓[さんかん](朝鮮)の秀[しゅう]を鍾[あつ]め、大明[だいみん](中国)を以て輔車[ほしゃ](頬骨[ほおぼね]と歯茎)となし、日域[にちいき](日本)を以て唇歯[しんし](唇と歯。輔車・唇歯とも切っても切りきれないほど関係の深いこと)となす。此の二の中間に在りて湧出するの蓬莱島[ほうらいとう]なり。舟楫[しゅうしゅう]を以て万国の津梁[しんりょう](かけ橋)となし、異産至宝[いさんしほう](異国の産物やこのうえない宝)は十方刹[じっぽうさつ](国中)に充満せり。 |
|