絹本着色花鳥図(殷元良筆) |
けんぽんちゃくしょくかちょうず(いんげんりょうひつ) |
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県立博物館 |
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昭和54年4月9日 |
殷元良は、1718(康照[こうき]57)年仲松庸象[なかまつようしょう]の二男として首里に生まれ、和名は座間味庸昌[ざまみようしょう]といいます。幼少のころからすぐれた絵
画の才能があり、12歳の時にはすでにその才能が尚敬[しょうけい]王に認められて首里王府の絵師[えし]に召[め]され、王府絵師代表の山口宗季[そうき]から画法を学んでいます。1752(乾隆[けんりゅう]17)年、進貢使[しんこうし](中国への使者)の一員として中国に渡り2年間滞在して中国画法を学んでいます。
帰国後、故尚敬王の御後絵[おごえ](肖像画)を製作し、山口宗季が亡くなって後は王府絵 師代表になっています。作品は、「神猫図[しんびょうず]」(焼失)、「花鳥図[かちょうず]」、「人物画」など多数ありましたが、現存するのはこの花鳥図のほかに数点しかありません。県立博物館にあるこの作品は保存状態も良く、画風を知る上で貴重なものとなっています。梅の枝の形や花の配置など、力強さの中に軽快さがあり南宗画[なんしゅうが](南画)の特徴がよく表れています。 |
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進貢[しんこう] |
中国に従属する国(冊封をうけた国)が定期的に貢ぎ物を献上すること。沖縄から中国への進貢物・貿易物は、硫黄、馬、螺殻[らかく](漆器の螺細に使用する貝殻)、また堺、博多、薩摩の坊津から取り寄せた日本産の刀剣、槍など、南方諸国から取り寄せた蘇木[シーワー](染料)、胡椒[こしょう]などであった。中国からの返礼物は、絹織物や羅紗[らしゃ]などの織物、他に陶磁器、鉄器などで、進貢物の数十倍の価値があり、その利益は膨大であった。 |
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