安謝小学校の歴史

学校ができたころ

資料・・・80周年記念誌より
 沖縄にはじめて学校ができたのは明治13年でした。そのころ,安謝の近くに学校
がないので安謝地域の人たちは4キロもある真和志小学校へ通っていました。
..安里を通ると近いのですが川が2カ所あってきけんなのでとおまわりをして,崇元寺
から牧志に出て,つぼやぶらくを通って行きました。お父さん・お母さんはしんぱいし一日
もはやく近いところに学校ができることをねがっていました。
 わたしたちの学校は今から66年前,明治43年(1910年)「真和志第二小学校」とし
てできました。はじめて学校ができた場所は崇元寺の北東,真和志村と那覇市のきょう
かいにありました。校しゃは,木造の1かいだてで校しゃの中ほどに校長じゅうたくもあり
ました。教室は6つで,しょくいん室と,ようむいん室があるだけでした。生との数は243
人,先生は7人でした。
 男の子も女の子もきものをきて,はだしでした。教科書はふろしきでつつみ学校へ通い
ました。おひるごはんは,おいも2つか3つだけで,ごはんやおかずをもってくる子はいま
せんでした。
 学校へ入学した1年生はカタカナからならいました。ほとんどの子はノート,えんぴつの
かわりに石ひつ,石ばんをつかっていました。

かわってきた学校

学校のある場所が安里にあったので大正5年(1916年)
「安里じんじょう高とう小学校」という名前にあらためました。
 そのころは6か年のぎむ教育がおわると,2か年高とう科
にはいることができました。
 学校の近くには,那覇市と首里市の間をとおる鉄道があり,
電車をよく見かけました。
大正7年 安里小学校卒業記念

戦争がはじまる

 昭和16年(1941年),国のきまりで「国民学校」という
名前にかわりました。その年の12月世界第二次たいせん
がおこりました。
 昭和19年せんじょうが沖縄に近づくと,へいたいが学校
の校舎をつかうようになり,勉強ができなくなりました。
 その年の6月ごろから「そかい」がはじまりました。九州の
くまもとや宮崎,大分または,沖縄の北部にそかいするように
進められ,那覇市から住民がだんだん少なくなりました。
 とくに3年生いじょうは学童そかいで沖縄の家族のもとをはな
れ子どもたちだけ先生につれられて船で九州にそかいし,その
土地の子どもたちといっしょに勉強をはじめました。戦争中なの
で親のもとに帰ることもできず,食べ物がなくなるとたいへん
苦しい生活をしました。

安里尋常小学校 昭和14年卒業
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